柿原霊神

『 下の病はおまかせ 』
今治藩士・柿原誠楽大人は生前、黒住教教師として愛媛県下を布教、多くの人々を救い助けられ、明治17年11月15日にご昇天になられました。 
 その時、広島県忠海教会所所長・渡部好太郎先生の目前に現われ、「私は今治の柿原誠楽である。今回、教祖様(黒住宗忠様)から有り難いお恵みを授かることになった。下の病気は、誠に面倒なものであるが、今後は下の病気で苦しむ者が『柿原霊神』と唱えて祈願すれば、必ず直ちにおかげを受けるよう教祖様にお取り次ぎする!」と言って姿を消されました。 
 爾来、下の病気(子宮癌、子宮筋腫、腰気、大腸癌、膀胱癌、前立腺、尿管結石、痔、性病、夜尿症、等々)で苦しむ人々の救いの神として、数々の霊験を現してくださっています。


『 柿原霊神ご神像 』
 この柿原霊神ご神像は、下の病気に苦しむ、より多くの人々におかげをいただいてもらいたく、日吉山の墓石からご分霊を奉遷して、ここ今治宗忠神社の斎庭に永遠に奉斎したものです。
 ご参拝の皆様が柿原様の広大なご霊徳に浴されますよう心からお祈りいたします。


『 ご神像移転ご鎮座祭 』
 令和4年4月8日「柿原霊神ご神像ご鎮座祭」終了直後の写真に白い注連縄のような光が現れました。日吉山で金弊にお遷ししたご分霊をご神像に遷霊、宗忠神の御側に永遠にお鎮まりになった柿原様の喜びの証と拝します。


「柿原霊神参道」

柿原霊神参道も大変立派に完成いたしました。凛とした静謐な空間で柿原様と心の対話をなさってはいかがでしょうか。”下の病はおまかせ”とご神像が笑ってお迎えくださいます。


柿原霊神由緒書

『 下の病はおまかせ 』
今治市山方町の海禅寺(臨済宗)境内を向かって左の小高い所に柿原霊神という小さな社があります。この柿原霊神は通称柿原誠楽(本名庄兵衛)といい、元は今治藩士でしたが、後に黒住教の布教師として活躍した人です。この誠楽について、次のような興味のある話が伝わっています。
 明治17年(1884)11月15日の出来事です。広島県竹原市の忠海町の黒住教会所長に渡部好太郎という人がいました。渡部所長が自宅で本を読んでいたところ、急に眠気がさしてくるのです。ついうとうととすると、目前に誠楽が現われ、「下の病は、まことにめんどうなものである。ところが、今回黒住教祖様からありがたいおかげを授かることになった。今後下の病で苦しむ者は『柿原霊神』と唱えて祈願してほしい。ただちにおかげを受けるように、教祖様に取りつぐことにいたす。」と言ってぱっと姿を消しました。あとでわかったことですが、この時、誠楽は、この世を去っていたのでした。渡部所長は、その霊感に驚くとともに、このことを信者はもとより多くの人々に広め社を建てました。その後、たしかに誠楽がいったように、柿原霊神は下の病、特に痔と腰気に霊験あらたかなものがありました。そのため一時は近郷近在はいうに及ばず、京阪神から九州方面の人まで参詣に来たそうです。今でもおかげにあずかろうとして、参詣する人がかなりいらっしゃいます。4月8日は春季例大祭、11月15日は秋季例大祭でにぎわいます。
「日吉山墓地」
 尚、柿原霊神につきましては事情により社を取り壊し、墓石はそのまま日吉山の墓地へ祀り、そのご分霊をご神像に奉遷して、今治宗忠神社(黒住教今治大教会所)境内に移転奉斎いたしました。どうぞ両参りなさり、おかげをいただいてください。

柿原霊神トイレ用木札

この木札は今治宗忠神社境内に鎮まる下の神様、「柿原霊神ご神像」の御前にてご祈念をつとめ、「柿原霊神様」のご守護により、下の病のおかげを受けられますよう、また下のお世話にならずにすみますよう、祈りを込めたご神札です。
 貴家のトイレ内に、目の高さより上、東または南向きにお祀りして、「柿原様」の有り難いご霊徳に浴してください。
 木札ご希望の方は、お電話またはFAXでお申し込みください。
  電話 0898-22-2295 / FAX 0898-22-2299

                 今治宗忠神社謹製  1体 弐阡円